上越はつらつ元気塾



塾長雑感

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2011.2.15  今、国民のやるべきこと、国のやるべきこと

 先日、あるTV座談会で、「日本企業の戦略」についての討論で、民間企業のアドバイザーたちのとても興味のある話を聞いた。3名のアドバイザーは、@Top世代の交代を A戦略は自分で描け B「おもてなし力」をブランド力へ と提言している。
 まず、@では、製品をつくる考え方が古くなっている。技術的にいいもの、秀れたものをつくれば、その商品は必ず売れたという時代は、もう過ぎた。これまでの買い手は、お金持ちの日本人だった。しかし、これからの相手は、東アジアを中心とした、そんなに豊かではない人たちの数をターゲットにしなくてはならない。それに対応できるのは、若い世代であり、その世代へのTopの交代が必然である。また、業界への女性の進出も重要である。東証での一部上場企業は、2,293社あるが、その中で女性社長は、たった29社しかいないのは問題だという。
 Aは、ある会社のモットーが:「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」というもの。これが企業を強くする基本であるという。
 Bは、企業は、当然のことながら売上利率を高く求めなければならない。U.S.A企業の売上利率の10.3%に対して日本では、2.7%にとどまっている。ここに「いかに高く売るか」を考えなければならない。それには、「ブランド力」が必要であり、そのブランド力は、日本の特性を生かしたものであることがのぞましい。それは、「サービスを売る」という考え方であり、日本文化のDNAである「おもてなしの心」が、うりになるのである。売り値は、サービス、つまりおもてなしをつけた価格にして、高売上利率をあげていくことを提言している。例えば、SECOMは警備「totalサービス」、また資生堂では、「ヘアサービス」、「高額エステサロン」での「おもてなし」をうりものにしている。そこで行なわれる、サービスの質が、うりものになっている。
 また、国がやるべき施策についても、意見を述べている。それは、日本国内で利益をあげられるものをピックアップし、それに対して支援をする。国の規制緩和をもっとすすめ、とくに基礎研究に国が力をいれる。ベンチャー企業への支援を行なうこと。例えば、開発商品の商品化のための基礎データや安全対策データを国が支援し、規制緩和すること。国がもっと大きな視点で活性化すべきである。社会保障は、国の困難事ではなく、大きな「企業」創出であるととらえること。日本文化、伝統に目を向け、過去の「力」を堀りおこす努力をすべきである。そこには人の能力をひきおこし、希望が生まれてくる可能性が大であること。それと若い力を育成すること以上のことを国策として行なわれるべきことであると提言している。国は、遠くをみて、力強い国の基盤をつくることに力を貸すべきで、のべつまくなしの「バラまき」は、国民を堕落させるし、国民を弱体化されると思う。
 皆様は、如何に考えますでしょうか。

塾長  渡邉 隆

2011.1.15  未来を拓く科学者

 昨年6月13日に7年間かけて宇宙を旅した惑星探索機「はやぶさ」が、オーストラリアの大地にもどってきた。この計画は、惑星からサンプルをとってもどってくるという宇宙科学研究所の「小惑星サンプリングリターン小研究会」からはじまったのだ。それが開催されたのが1985年のことだ。今からおよそ25年も前のことである。計画では、2年かけて地球から3億qはなれた小惑星「イトカワ」に行き、サンプリングして2年かけてもどってくるというものだった。しかし、数々の故障やトラブルで実際は7年間かけて60億qを旅したことになった。最も深刻なトラブルは、通信途絶であった。しかし、地上スタッフの努力で、「はやぶさ」からの微弱信号をとらえ、それを用いて通信を完全復活させ、「はやぶさ」の位置と速度を再び正確に確定できるようになったのである。米科学誌「サイエンス」は、この偉大なる復活を絶賛した。
 こうして、地球にもどってきた「はやぶさ」に積まれたカプセルは、とんでもない貴重なおみやげを積んできた。直径5p、高さ6pという大きさの「試料容器」に小惑星「イトカワ」の試料が入っていた。しかし、その試料たるや、とんでもない小さなもので、微粒子の大きさは、数ミクロンから数10ミクロン程度のものだ。例えてみると咳止めの「龍角散」の粉の1個ぐらいにあたるのだそうだ。こんな微粒子を分析する充分な機器は現在はない。しかし、50年後100年後の人類が、新しい分析方法を見つけだすにちがいない。そうしたとき、この「イトカワ」の超微粒子試料は、太陽系誕生の歴史を読み解く大きな鍵を私たち人類に明示してくれるにちがいない。このとき、今から25年前に計画された真の目的が、達成されるのだろう。
 こうした未来をみすえた科学者の視点を性急な現代の人々は学ばなければいけないだろう。

塾長  渡邉 隆

2010.12.15  日本の特技 ― 環境・健康・絆 ―

 先日、ロータリークラブの地区大会があり、そこで、浜田和幸先生の特別講演「アジア大交流時代と幕明けと日本」を拝聴した。浜田先生は、中国の政治・経済を含んだ広い領域の研究者であり、現在、参議院議員でご活躍中である。
 その講演で、先生は、次のように指摘している。現代は、アジア、とくに東アジアの政治、経済、文化圏が、世界の大きなエネルギー源になる。その中で、日本がはたす役割は重要であり、とくに中国、インドなどの人口の大きな国との政治、経済、文化を含んだ広い意味での交流がポイントとなる。日本は、何を売り物に出来るかを考えておかねばならない。日本の宝は、何なのかといわれれば、そのkey word は、次の三つである。それは、@環境 A健康 B絆 である。例えば、中国で今一番の悩みは、土、水、空気の汚染である。近代国家への道をいそぐ国の基本的な問題である。これに対して日本は、科学技術の提携が可能である。Aの健康に関しても、日本は、世界でトップの寿命をほこっている。感染症や成人病対策等に対しても世界に先んじた医療事業が進んでいる。近代の欧米の食文化に対して「日本食」文化の評価が高くなっている。「木の家」に住むことで、自然環境・エコ問題に対しても良質のとり組みとして評価されている。B絆については、日本人の文化に対する意識や和的性格が、東アジアにおける貴重な点として揚げられる。あの「阿Q正伝」で、魯迅は、中国人は、「馬場虎虎」(マーマーフフ;まあまあ)とし、日本人は、「認真」(ピンイン;まじめ)といっている。さらに村上春樹氏の「IQ84」の全世界でのベストセラーは、日本人の心とその絆が、現代社会の中で大きな役割を果たすことを示しているのだろうと結んだ。
 浜田先生の指摘する3つのkey word, 環境・健康・絆の3Kは、心にしみいった。この言葉を味わってみると、実におもしろい。日本が、これまで育ててきた教育と文化と科学技術の総合的な結果である。環境と絆は、地球と人との共生であり、人類の持続のための世界の絆である。それがあってこその人類の健康な人の存在なのである。日本は大きな宝物をもっている。東アジアや世界にとび出せる大きなエネルギー源をもっているのだ。
 私たちは、もっと自分の国:日本の実力を知り、若者を育成し、将来を託していける。そうした社会をめざして日々暮らしていきたい。

塾長  渡邉 隆

2010.11.17  縁は奇なもの

 先日、九州に出向く用事があり、そのついでに、今から40年ほど前つとめていた九州大学の仲間とお酒をくみかわしてきた。なつかしい面々の中に、大手製鉄会社で、溶鉱炉のレンガをつくっている工場の責任者をしているH君がいた。H君が「お世話になっています」と、なつかしそうに話かけてきた。彼の九大の修士時代に、私が、その研究室の助手だったのだ。そういえば、H君は三年ほど前、私の前任校:上越教育大学に新卒の学生を求めて、やってきたのだった。その時は求めている人がいなかったので、北海道大学のY教授にその話をしたら、研究室の修士修了生を紹介してくれ、その人が採用されたのだ。その人物が、また、すこぶる優秀で感謝しているとのことだった。
 Y教授との出会いは、今から40年もさかのぼることになる。そのころ、私は、九大の助手で、粘土鉱物の結晶構造解析を行なっていた。そのためのコンピュータシミュレーションプログラムを開発し、学会に発表したばかりだった。Y氏は、それを知り、自分の試料の解析を行なうために、月に1〜2回、わざわざ北海道大学から、九州までやってきたのだ。彼も当時は助手だったので、旅費も充分ではなかったはずだが、それをもとに学位論文を完成させた。彼とは、そののちも共同研究を継続し、それらの成果を国際会議や、論文に発表しつづけた。
 そうして20年の時が流れ、またY氏と旧交を暖めることになった。それは、上越教育大学で育ったS君がY教授の研究室の准教授に採用がきまったからだ。そのY教授は、今年度いっぱいで北大を去るという。2月の祝賀会の案内もいただいている。この席には、九州のH君も出席するとのこと。お祝いの席で、どんな思いが私の心の中を走るだろうか。
 研究という仕事を続ける大学人は、その無機的な仕事の中で、人と人とのつながりを有機的なものに変えていく。そのネットワークづくりは、地味なのだが、心にしみるあたたかさがある。北大と九大、助手時代の熱い研究への思い、そして時間を経ての友情の深まりが何ともいえない。

塾長  渡邉 隆

2010.10.15  黒鉛から剥ぎとったナノ物質-グラフェン

 2010年度のノーベル物理学賞は、マンチェスター大学のガイム教授(51)とノボセロフ教授(36)に与えられました。授賞理由は、「二次元の物質グラフェンに関する革新的実験」です。その実験は、実に単純なものでした。黒鉛という鉱物をセロファンテープではさんで剥がし、それをくり返すと、炭素1個分の二次元シート:グラフェンが、とり出せるのです。Web上に動画で、その実験の方法をいつでも見ることができます。
 炭素原子が平面に緻密に並んで、薄い布ができれば、それは非常に丈夫で、金属でないのに電気を通す布として、20世紀の中頃から予言され、グラフェンと呼ばれていました。作ろうとしてもなかなかできなかったのですが、2004年に行われたこの実験で見事に作ることができたのです。
 このグラフェンの入手は、合成によるのが普通なのですが、ノーベル賞受賞の二人は、天然にある鉱物:黒鉛から、そのグラフェンを手に入れる方法を発見したのです。炭素と炭素が、手をつなぐと六角形をつくります。その六角形が平面上でつながり、二次元の綱をつくります。この炭素1ヶ分の厚さをもつシートが、グラフェンです。グラフェンを何枚も重ねた積層構造をもつ鉱物が、石墨というものです。合成された結晶は、黒鉛と呼びますが、その黒鉛を用いてグラフェンを入手したのです。ちなみに石墨1mmは300万枚のグラフェンの積み重なったものにあたります。300万枚のうちの1枚をセロファンで剥ぎとってみせたのです。
 その炭素の二次元結晶の単層=グラフェンは、とんでもない特性を持っていました。原子1個の厚さしかないのに、ガスを通さないほど緻密で透明、電導性がシリコンの100倍もあるというものです。この驚くべき物質特性が確認され、今やシリコンに代わる電子素材として世界中で応用研究がはじまっています。さらにこの物質は、私たちにとって、夢の素材です。それは、安く簡単に製造でき、環境へもやさしい物質なのです。
 グラフェンは、ナノマテリアルの一つで、私たちは、今、まさにナノマテリアルの21世紀に突入したのです。

塾長  渡邉 隆

2010.9.14  大学のオープンキャンパスで

 最近、18歳人口の減少に伴って、大学では入学定員の確保が、大きな課題となっている。特に私立大学では、授業料が大学の大きな財源になっているため入学者の確保が重要である。今年はオープンキャンパスがどの大学でも盛んにおこなわれているようだ。私が学長を勤める看護大学でもオープンキャンパスを夏に2回開催している。2年前に赴任したときから、趣向を凝らして「学長室訪問」という企画を行っている。学長室で高校生と語るというのが目的である。学長室はそう広くないので、この夏は20名ほどのグループに分けて学長室を訪問してもらった。
 案内された高校生が神妙な顔をして学長室に入ってくる。
 「まあ。お座りください。」「出身は?」「看護大を志望した動機は?」などと聞くと、「自分の身近な者が病院でお世話になり、感激して自分もなりたいと思いました。」、「安定した職業だから。」などの答えが返ってくる。
 「高収入で安定した求人があることは確かですが、それなりに苦労の多い職業ですよと。」と返す。
 「まず、勤務は不規則で夜間や緊急な対応をせざるを得ないことがあり大変です。」などと話しながら本質的な会話に入っていく。
 「看護師は、患者さんから“いい看護師さんだ”と言われるのが理想なのです。“いい看護師さん”からもらう薬は、きちんと飲まれるし効き目がいい。対話がはずめば、笑いが出て、免疫力が高まってきます。病室も明るくなり、よいことが積み上がってくるのです。しかし、もし“嫌いな看護師”とレッテルをはられたら、どうでしょう。好き嫌いは人の気持ちです。嫌われても、こちらからその患者さんを避けることはできません。看護師は人間関係が基本の職業なのです。」と話を進める。
 「人は一生のうち何回も病気をします。そして、何回も治って、元気になるのです。しかし最後の1回は治りません。そして、生涯を閉じます。死は、人ひとりに1回なのですが、看護師は他人の最後に何回も立ち会います。これは結構深刻です。患者さんと日常のやり取りで、彼らの心に触れ合っているからです。この死に直面したとき、どのように立ち直っていけるのでしょうか。」
 「それは、その患者さんにどれだけ“寄り添う”ことができたかです。“寄り添う”とは、患者さんの人生を理解することです。どんな些細な一部でもいいのです。“寄り添って”くれた看護師は、患者さんにとって“いい看護師さん”なのです。患者さんの生きてきた道を理解するのは大変な仕事です。でも、大切なことなのです。」
 「“生きること”を学ぶ機会はいっぱいあります。皆さんは若く、キラキラと輝く感性を持っています。家族、友だちや部活の仲間などからいろいろ生き方を学べます。そして、好きな音楽や、小説、映画から多くの感動をもらえます。それら一つ一つが君たちの研ぎすまされた感性を刺激し、心の畑に種として蒔かれます。その種は君たちの成長とともに、芽を出し成長していきます。大学を卒業して看護師になった後の40年余は、その芽をしっかりと育て上げることです。それが、患者さんに“寄り添えるいい看護師さん”になるコツかもしれません。」
 こんな会話をして今年もオープンキャンパスを過ごした。あのキラキラとした若人の目の輝きは、この夏の暑さを暫し忘れさせてくれた。来春、彼らの何人かと再会できるのを楽しみにしている。

塾長  渡邉 隆

2010.8.26  新しいタイプの科学者

 先日、新聞に宇宙開発戦略本部の事務局長に現役の京都大学の教授が抜擢されたという記事が載っていた。その人は、「はやぶさ」などの探査機やロケットの軌道計算の専門とする研究者;山川宏(44)教授である。
 もともと、このポジションは、国の宇宙政策のまとめ役で、大物官僚が勤めていた役職だ。今年2月に、前原国土交通相(宇宙開発担当)が設けた宇宙政策の有識者会議に招かれ関連省庁をまとめる「宇宙庁」の創設などを提案してきた研究者である。研究に埋没せずに、時代を読み取る新しいタイプの研究者だ。
 「行政、研究現場、国民のどの視点も宇宙開発に欠かせない」という。しかも多くの人との対話が基本だと熱く語る人だ。
 人はそれぞれ自分の得意分野を持っている。そして、そこで仕事をしている。ややもすると大学などの研究機関では、その専門領域に埋没しがちなものである。それを、役所と大学を新幹線で往復しながら「車内での読書が、息抜きになっている」と言う。
 彼の宇宙への関心は、12歳のときの米探査機ボイジャーにはじまり、宇宙士に憧れ宇宙工学の研究者になったという。そのとき以来、「宇宙の開発」という大きな夢を抱き続けている学者である。
 この話を聞いて、今や、現代は宇宙開発を夢から日常生活に積極的に取り入れる時代になってきたことを感じ、同時にその実現に必要な人材が次々と出現してく次世代の新しい可能性を実感しはじめた。

塾長  渡邉 隆

2010.7.29  上越はつらつ元気塾は出発しました

 7月21日午後から、新潟県立看護大学でNPO法人「上越はつらつ元気塾」の設立記念フォーラムを開催しました。

 【当日のプログラム】
   16:00〜16:40 設立総会
   17:00〜19:00 設立記念フォーラム
   19:30〜21:00 交流会

 私たちのNPO法人「上越はつらつ元気塾」の前身は、2006年〜2008年に産学官の連携で連続講座を中心とした活動を行ってきた「上越はつらつ元気塾実行委員会」です。それをうけてのNPO法人「上越はつらつ元気塾」の新しい出発です。
 会場には、実行委員会当初から関わっていただいた方々、協賛いただいた方々、そしてこの度のNPO法人「上越はつらつ元気塾」設立にあたり会員として参加くださった方々からおいでいただきました。
 16:00からはじまった総会は、たんたんと進み、役員の紹介も終わり、17:00から「フォーラム」に移りました。ゲストは、「シブヤ大学」の左京泰明学長。左京学長の話題提供に引き続き、トークセッションに移り、上越地域の多くのNPO活動をしている皆様;城下町高田花ロード実行委員会、お馬出しプロジェクト、南本町活性化協議会、高田まちネット、えちご若者元気塾、マミーズ・ネットからの現在の活動状況が報告され、左京学長からのコメントをいただきました。左京学長の話は、とても興味深いものでした。現在の「シブヤ大学」の活動の実態とその具体例をもとにNPOの本質をついたコメントでした。
 いくつかとりあげると、

“やりたいことに、まっすぐぶつかっていくこと、そこにはどんな壁もない、それがNPOだ。”
“今、私たちが直面している現場がその最前線である。”
“「あなたも先生」、「あなたが学生」というフラットな活動プラットフォームであること。”
“現在活動している団体と連携し、地域の中でひろがっていくこと。”
などなど。

 深く印象づけられたのは、「NPO活動は、部活です。」のひとこと。今の学校教育においてクラブ活動(部活)は大きな意義を持っています。小中高時代の彼らにとって、「学校」は知的訓練の場であることと同時に多くの仲間と一緒に時を過ごす「学園生活」の場です。それは、社会人になる大きな基礎力であるにちがいないのです。「学園生活」を味わうのに最も有効なのが、部活や学級活動なのです。私たち大人も、メインの仕事とそれを支える趣味やスポーツなどのサブの活動が必要です。NPOの活動は、正に学校の「部活」なのです。そして、それがセカンドキャリアを作ります。これがリアルな人の生活なのです。
 私たちは、未来に対して期待します。私たちがよい笑顔で生活できるように「はつらつ」で「元気」なNPO活動を行なっていきます。

塾長  渡邉 隆

写真1(画像)
会場からの活発な発言
写真2(画像)
シブヤ大学・左京さんの講演

2010.7.15  梅雨の時間のコンサート

 梅雨に入ってしばらくするのにあまり雨が多いと感じない7月である。梅雨の合間というわけではないが、7月3日の午後は、太陽も見え隠れし、緑の木立ちが、特別に美しい午後となった。はからずも、NPO“おりづる”が、上越文化会館で、ピアノコンサートを開催した。題して“羽ばたけ・おりづる、岡崎悦子ピアノコンサート”。私も友人を通してチケットを入手してコンサートに出かけることができた。入口には、“おりづるスタッフ”がコーヒーとケーキで迎えてくれた。緑の美しい喫茶席で、ひとときを過ごし、コンサート会場に入った。私は、岡崎先生を存知あげていない。どんなピアノかと期待しながら演奏が始まった。先ず、ショパンのエチュードが6曲流れた。そして、15分の休憩をとって後半は、メンデルスゾーン、モーツアルトそしてショパンと締めくくった。演奏の前後には解説を入れてくれ、非常にファミリーな感じの会となった。
 オープニングから、作曲家は、“何か後世に伝えるために曲を作っている”。それが何かをさがしながら曲の練習をするという。そしてコンサートは、演奏者がつたえる作者の思いを会場の人たちと共有していくのだという。さすが、音楽大学の教授と思わせる話が興味深かった。後半のメンデルスゾーンは、リスト編曲のもので、先生のお話によれば、リストは、その時代の作曲されたものをもっと作者の美しさをつたえたいと思って、数々の編曲をしたピアニストだとのことだった。
 今年は、ショパン生誕200年、昨年は、メンデルスゾーン、来年は、リストの200年祭だという。ということは、ショパン、リスト、メンデルスゾーンは、同時代に活躍した音楽家たちなのだ。すばらしい文化の高まりは、歴史において多くの人たちが、同時代にかたまって存在するのだ。そして、その天才たちは、同時代に同じ場所にあつまり、歴史に残る大作を残していくものなのだろう。そして、その仲間たちは、互いに交流し、それぞれの特徴を共有しあっていく、このことが、さらに爆発的な効果をもたらすのだろう。あの音楽家たちは、その時代の中世ヨーロッパ、パリ、ウィーンだったのだろう。
 私たちの住んでいる上越にもそんな時代があった。明治、大正、昭和初期に文化人といわれる人たちが多くこの街を訪れ、いろいろな宝を置いていってくれた。ある街は、棟方志功、であり、相馬御風、堀口大学、坂口勤一郎、である。その大きな足跡を、平成の今、掘りおこしたい。それも、その時代の人と直接、面談した方々が、平成の今、この上越で暮らしておられる。是非、私たちの塾での第一歩は、ここからはじめましょう。

塾長  渡邉 隆

2010.6.16  上越はつらつ元気塾の巣立ち

 今年の天候はいつもとちがって変わっているかもしれない。梅雨前線は、6月中旬にやっと東京までやってきた。日本海側の上越、高田は、今日(6月15日)は、晴である。毎年梅雨前線は北と南の気圧のバランスでゆっくりと北上してくるのが、通常であるのに、今年は異常に遅い。
 日本人は、このうっとうしい梅雨を生活の工夫で乗り越えてきた。春から夏への季節の転換のはざまにあるのが、この時期である。梅雨は、6月の季語である。季語に示されるように日本人が季節をとらえる感覚がするどいのは、四季のはっきりした中緯度温帯地方に日本が存在するからだ。人が幼い頃から体得してきた季節に対する感覚は、その人の生きてきた、場所と時の流れの味わいが含まれていると私は思う。この知的感覚こそ、日本の「文化」のかおりを感ずるのは私一人ではないだろう。この時期は、また、「巣立ち鳥」の時と季語では、教えてくれる。
 私たちのNPO法人「上越はつらつ元気塾」は、上越ならではの「文化」を語り伝え、地域を支える「力」のありかたをここに住む人たちと共有していきたい。そして、その感動を全国に発信していこうと思っている。

塾長  渡邉 隆

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