関川ってどんな川? |
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【関川の歴史】 有史以来、関川の流域は数々の洪水に見舞われた歴史があります。 関川の治水の歴史は、17世紀の始め頃より高田城の築城に伴う川の付け替え、右支川保倉川の関川への合流、船運のための川ざらい程度でした。 また、各集落では、独自に水害から人々が逃れるための小さな堤防を持っていました。 このため、江戸時代の水害は、特に大きかったと思われるものだけでも23回もの記録が残されています。 本格的な改修は、明治27年旧直江津市の大水害を契機に災害復旧と河川の改修が行われ、大正9年頃に平野部の堤防が形成されました。以後、昭和40年までにも水害と局部改修を繰り返し、その数はおよそ4年に1回の割合で発生しました。 昭和44年4月一級河川に指定され、関川本川は河口から12.2Km、保倉川は関川合流点から1.6Kmが国が直接管理する区間となり、改修が進められています。 |
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【関川の名前の由来】 関川の河川名称については、以下の説があります。 @現在は妙高高原町に属している旧関川村を流れたので,それにちなんで付けられた。 A「堰き川(せきかわ)」の意味であり、洪水時に河道が土砂で堰き止められ、しばし ば氾濫したことにより、関川の名称が生まれた。 B信越国境に在った国街道の重関所の近くを流れる川ということから。 C農業用水の利用が盛んで、天正時代に行われた上江用水第一期工事を皮切りに、江戸 時代には、ほぼ現在に近い農業用水の利用形態が確立されていたことより、関川とい う名は、用水の取水を表す「堰川」から変化した。
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